息子、2歳おめでとう!
— あいか (@7___aika) February 6, 2023
お祝いで名古屋旅行したから当日は普通に家で過ごすつもりが急遽お泊まりに。笑
かずくんが今日はこっち方面でお仕事があったので両国のホテル。めちゃくちゃ両国ビュー。笑 pic.twitter.com/7wsmKzBfst
というわけでザ・ゲートホテル両国by HULICに。息子がまだハイハイするかしないかくらいの時にゲートホテル東京にも泊まったことがあります。その時はかずくんがお風呂で息子を洗っていて、床に落としちゃったのよね。ツルッと。笑
ゴスンッという大きな音の後にギャン泣きが聞こえてきたもんだから、「どうしたのっっ!?!?」とバスルームに飛んでったらかずくん顔面蒼白でしばらく何も言わなくて。いや質問してんのよ答えてよ。笑
椅子に座り膝上に息子の体全体を乗せて洗っていたところ、息子の動きが激しく泡で滑って後頭部から床に落ちて一回転したと。それは痛い。
人間、やばすぎると思ったときは何も言えなくなるんだなぁと思いました。
病院連れてくべきか!?と悩み#8000に電話したら息子の状態からとりあえず様子見でよいとのことだったので、半日くらい真剣に様子見しました。笑
結果、何事もなかったわけですが、初めての事故らしい事故だったので2人とも焦りました。今となってはいい思い出だね。
両国国技館の目の前がホテルです。
初めて降りた両国駅。お相撲一色だ〜!住所も“横綱1丁目”とあるぅ!と思いきや、横網(よこあみ)でした。もう横綱(よこづな)でええやん。
駅で若手のお相撲さん方とすれ違い、「わっ夜の銀座以外で生のお相撲さん見たの初めて!」と感動しましたが、こっちが通常なんだよな。
プラレール展示もありました。
どうでもいいけどヒューリックてすごい勢いで都心の不動産取得してるよね。ゲートホテルもどこも新しいし。最近は知らないけどコロナ前までは「あれここもヒューリックのビルなんだ?」ってなることが多く。銀座の大家さんって呼ばれてるんだってね。
あとゲートホテルのマーク、いつ見ても森ビル!?って思っちゃうのは私だけでしょうか。
お部屋はシーニックキング(32〜34㎡)
なんと!お誕生日カードとプチギフト(シャンプー・コンディショナー・ボディソープのミニボトル)までご用意してくださいました!ここでは何も期待してなかった(失礼かw)ので嬉しい!
逆にお祝いの言葉もカードもなかった名古屋マリオットはちょっと残念に思った記憶。
ホテルに泊まるときは用途を予約時の備考欄に書くようにしています。チェックイン時にコミュニケーションが生まれたりして楽しい。
ネスプレッソにエプソムソルトとちっさいハンド&ボディクリームまである。コスパ良いホテルです。
お風呂も広め!

仕事後のかずくんにキルフェボンを買ってきてもらった!
この喜びようである。うふふ、おめでとう!
思えば、息子の誕生日は私の出産記念日でもあるわけで。2年前の今日、頑張ったよなー私。陣痛待ちでLDRにいる私に新人ぽい助産師さんが「なんか…すごく落ち着いてらっしゃいますね…!すごい…!怖くないんですか…!?」と。
「いやここまできたらもうあとは産むだけなんで、怖いとかないですねー、早く産みたいです」
「すごい…っ!(尊敬の眼差し)」
まぁ、この1時間後くらいにのたうち回るしゲロも吐くしおしっこも漏らすんですけどね。
でも私、声は出さなかったんですよね。獣みたいな悲鳴を私もあげるんだろうかとビクビクしてたのですが、私は叫べないタイプだったみたい。ていうか発声する余裕がなかったよ。
これ以上はどう考えても死ぬだろうが…っ!というところで麻酔を打てたからかな?
痛いと聞いていた注射もまったく痛くなくて、本当に一瞬で痛みがスーーーッと消えていって。あんなに価値のある20万円(麻酔分娩代)の使い途は他にないと思ったね。
「痛みが強くなってきたらこのボタン押してくださいね、追加の麻酔が出ます」と言われたので、自分なりに限界まで我慢した出産直前、もう無理!という瞬間に
「ボ…ボタン…押していいですか…!?」と言ったら
「いま麻酔足すと陣痛が弱まる可能性があるので押さないでください」と。
絶望。あれは絶望だった。
結局、最後の数十分はほぼ麻酔効いてない状態で出産。笑
もうすぐ生まれそうというときにかずくんは仕事で抜けていて、立ち会い出産を希望していたため「旦那さんに連絡しましょうか!?」と助産師さんが何回か聞いてくれたんだけど
「いやっ、いいです!!もう!このまま産みます!!!」と即答。
悪ィな、かず…。俺ァこのまま産むぜ…!!!
と覚悟決めてたところ、生まれる3分前くらいにかずくんが仕事から戻ってきた!なんてタイミングの良い男だ!
そんな感じで令和3年2月6日11:33に息子が生まれました。よく晴れた暖かい日でした。
正直、天気や気温なんて全然知らなかったんだけど、出産報告したときに桃子が教えてくれたのよね。文面から祝福が伝わってきて感動したのを覚えてる。
息子は4246gで、「えっ下から産んだんですか!?初産で?よく産めましたね!?」と入院中関わった看護師さん助産師さん全員に言われました。
出産直後にお部屋どうしましょうと聞かれたとき、かずくんが間髪入れずに「個室で!!」と言ってくれたのも忘れられない。私は事前に「個室高いし大部屋でいいよ」と伝えてたのだけど、嬉しかった。
大きく生まれた子にありがちな新生児一過性多呼吸で息子はすぐにNICUへ。私は個室に移動後にランチ。お腹すいた〜早く食べよ!と思いきや腕が全然上がらない。あれおかしいな?と同時にドッバァとお漏らしの感覚。ナースコールで看護師さんを呼ぶと、なんと800ml以上も出血していた。
すぐに医師含め10人近くが部屋に入ってきてあれやこれやの処置をしてくれました。陣痛中に一度息子の心拍が弱まったときもこのくらいの人が集まったのでこれ結構ヤバいんかな?すごいなこんなに人がいるのに全員テキパキ動いてる…と貧血でクラクラしながらも感心していました。
ちなみに息子の心拍が弱まったときは看護師さんにかなり焦った口調で「深呼吸して!!!赤ちゃんに酸素送ってあげて!!!」と言われ、すごい緊迫感のなか「いや大丈夫だって。絶対大丈夫なんよ」と心の中で思いながら(どこからその自信がきたのか謎)自分でもびっくりするくらい落ち着いた深呼吸をしてました。
昔の人は出産で命を落とすことも多かったわけだけど、大量出血の私もNICUの息子も、今の医療技術がない昔だったらそのまま死んでたんだろうなぁ。
いくら安産型と言われた私の骨盤もさすがに4000超えの赤子出産は負荷がかかったらしく、産後数ヶ月は仰向けになれませんでした。痛くて痛くて。
幸せを感じたふとした瞬間に「いつか年老いたときに今日の尊さを思い出して泣いてしまうだろう」とか「死ぬ間際にこのことを思い出せたらいいな」などと考えるのですが、我が子と家に帰ってきた日の幸せは、言葉にならないほどで、生涯忘れえぬ幸せの記憶となりました。 pic.twitter.com/kgwjVZYhKC
— あいか (@7___aika) February 14, 2021
出産レポみたいになってしまった。まぁだんだん忘れていくだろうからな。ちょっとくらい書き残しておいたっていいだろう。
芝浦の愛育病院でした。有名な産院というのと医療設備が充実してるのとで安心感があった。検診はシステマティックでサッと終わるし、助産師さんはみんな優しかったし、母乳スパルタと聞いてたけど昔と変わったらしくそんなことはなかったよ。(でも母乳が軌道に乗るまで根気強く乳首をひねりまくってくれた。痛すぎて気絶しかけた)
息子の誕生日プレゼントは消防車にしました〜!
こういう乗用玩具、家が狭すぎるので買わないつもりだったんだけどハンドルもタイヤも大好きだから、絶対コレ喜ぶよね…!ということで。
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